2016年度最初の更新はタイトル通り、極めて過激な内容です。
なお、タイトルはあくまで「学校の勉強」に関するものです。
塾での指導期間は、大学生時代のアルバイト講師時代を含めると今年で
10年となります。その間、様々な成績層の生徒さんを指導してきました。
それこそ、15歳になっても九九すらままならない生徒さんから某国立大学医学部に
進学された生徒さんまで、本当に幅広い層の生徒さんにお会いしてきました。
「たかだか10年程度のキャリアで偉そうなことを書くな」と先輩方に叱られそうですが、
現時点における傾向としてのまとめをあげておきたいと思います。
過去の面談からすると、保護者の方々や生徒さんが知りたいのは、
「あの子は(勉強が)できて、どうしてうちの子(ボク・ワタシ)はできないのか?」
「どうすればできるようになるのか?」
といったところに集約される様子です。
では、さっそく話を進めていきましょう。まずは「そうでない子」のパターンから。
①「才能が違う。○○は頭がイイ。」
これはもう、本当によく耳にする言い訳ですね。もちろん、世の中には本物の「天才」
が存在することは否定しません。(私は学生時代に本物にお会いしていますので。)
しかし、巷の子供たちが言う「天才」は正確には「努力を続ける秀才」がほとんどです。
それにも関わらず子供たちが「天才」という言葉を使いたがるのには理由があります。
彼らの言う「天才」たちの努力を認めてしまうと、それは同時に自分が努力を怠っていることの証明になってしまい、自己否定するのが辛いのです。
または、今後やらねばならない努力が面倒なので、「上位の人間=別次元の生き物」
として締め出そうとしているのです。
人の努力を無視することで、自分のサボりを正当化しようとしているパターンです。
こんな寝言を言っている人は、生涯寝言を言い続けるのではないでしょうか。
②「やることが多くて。」「忙しくて。」
学校の勉強よりも優先順位が上の事柄があるのならば、そちらを優先する。例えば、
「自分は将来メジャーに行くから、毎日野球の練習と英語の習得で忙しい。
だから数学なんて勉強する暇がない。」
これなら私も仕方ないかな?と思います。頑張ってメジャーに昇格してほしいですね。
しかし、「オンラインゲームが」「ラインが」「マンガが」などと聞くと、
「君の将来は今の時代のゲーム程度の価値しかないの?」なんて心配になって
しまいます。(もちろん、ゲームも価値がありますが、他人が作成したプログラムを
こなすことに自分の生涯を天秤にかけてもよいのでしょうか。)
娯楽はやるべきことをこなしている人に対するご褒美ではないでしょうか。
③「やっても分からん。」
これは分からないでもないです。1人でやっていると、つい思考が袋小路に…なんて
ことはよくあります。そんな時は、人に聞いてみると案外簡単に解決することが
多いです。
ただし、かなりの割合でやってもいないくせに「やっても分からん。」を使う
人もいます。まずは「やる」べきですね。
ここまで「そうでない子」のパターンを書いてきましたが、1つでもあてはまった
人は相当に危険な状態です。
次回、「デキる子」のパターンとともに、「そうでない子」から「デキる子」に
成長していった生徒さんたちのパターンを書いていくので、読んでみてくださいね。
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